ぐるナイ「ゴチ19」Sexy Zone中島健人くんの結果まとめ(随時更新中)
みなさん、こんにちは。
こちらのページは、Sexy Zoneの中島健人くんがレギュラー出演している「ぐるナイ」の「ゴチ19」について、健人くんの結果のみを記録していくページとなります。
放送が終わる度に随時更新中です。
ケンティーがクビにならないように、みんなで一緒に応援していきましょう!!
そもそも「ゴチになります!」って?
ゴチを知らない方もいらっしゃると思いますので、最初に簡単な説明を。
正式名称「グルメチキンレース ゴチになります!」は、日テレ系で毎週木曜日19時56分から放送中の「ぐるぐるナインティナイン」内の大人気コーナー。
1998年10月23日に「銀座高級すしゴチバトル」としてスタートし、今年(2018年)で19年目を迎えました。
都内を中心とした高級レストランを舞台に行われるゴチでは、ゴチメンバーといわれるレギュラー陣とVIPチャレンジャーといわれるゲストとが、各々、値段を見ないまま複数の料理を注文していき、番組が最初に設定した金額に、自分の合計金額をどれだけ近づけることが出来たかを競っていきます。
番組の最後に結果が発表され、そこで1番差が大きかったメンバーが全員分の食事代を現金で自腹する、というルールです。
2002年の「ゴチ3」から、1年間で自腹した総額が最も高かったレギュラーメンバーがクビになる、という恐ろしいルールが追加され、「クビレース」と呼ばれるように。
2017年の「ゴチ18」では、コーナー開始当初から19年間、ゴチメンバーとして出演していたTOKIOの国分太一くんがクビになってしまい、2018年1月から始まった「ゴチ19」からは、ジャニーズ事務所の後輩である中島健人くんが加入することとなりました。
ゴチ19 中島健人くんの成績
それでは、ケンティーこと中島健人くんの「ゴチ19」での成績を見ていきましょう。
ここではケンティーの結果のみを記録していきますので、他のゴチメンバーの成績は、公式サイトなどをご覧ください。
ゴチ19 結果一覧
()内は設定金額/ケンティーの金額
- 1月18日 1位
※クビレースに関係ないエキシビション戦
- 1月25日 6位
- 2月 1日 1位
- 2月22日 2位
- 3月15日 3位
- 4月 5日 5位
- 4月19日 2位
- 5月17日 5位
→おみや代24,500円支払い
- 5月31日 2位
- 6月14日 3位
☆ゲストの長瀬智也さんが自腹
- 6月21日 5位
- 7月 5日 2位
☆ゲストの櫻井翔くんは3位
- 7月19日 3位
- 8月23日 1位
- 8月30日 7位
- 9月13日 結果持越し
- 9月20日 1位
- 10月11日 2位
- 11月1日 6位
(28,000円/33,600円) +5,600円
- 11月29日 3位
この結果は、放送がある度に随時更新していく予定です。
まだ若いケンティーには、ゴチは不利なのでは・・・という、放送前のクマコの心配をよそに、優秀な成績を収めている健人くん。
2月にはゴチメンバーとして出演していた俳優の大杉漣さんが急逝されるという、悲しい出来事があった中で、色々と複雑な思いもあったでしょうが、変わらず番組を盛り上げようと頑張っているケンティーは素晴らしいと思います。
ゴチでは、ゲストで出演する様々なジャニーズの先輩たちとの絡みが見られるのも嬉しいですよね。
そして、どれだけの大物の前でも物怖じせず、しっかり爪痕を残していく健人くんの度胸とプロ根性には、いつも感服いたしております。
今後は、Sexy ZoneのメンバーがVIPチャレンジャーとしてケンティーと共演する日が来るといいなぁと思います。
先輩の太一くんのように、ケンティーが長くゴチメンバーとして活躍出来るよう、これからも応援していきましょう!!
ジャニオタ☆クマコの軌跡⑥~Sexy Zoneとのかけもちへ編~
みなさん、こんにちは。
今回も前回までに引き続き、ジャニオタとしてのクマコの軌跡をお話ししていきたいと思います。
前回の、クマコが嵐にさらにのめり込むキッカケとなったTimeコンのお話はコチラ↓
shironomiyakumako.hatenablog.com
今回は、クマコがついに嵐とSexy Zoneとのかけもちを始めるに至った経緯についてお話していきます。
今回で、ジャニオタとしてのクマコのこれまでについてのお話は、一旦終了となりますので、最後までお付き合いいただけると幸いです。
それでは、「ジャニオタ☆クマコの軌跡」第6章…Sexy Zoneへの抑えられない想い
はっじま~るよ~
ジャニーズはみんな好き♡なクマコ
これまでのお話で、嵐への愛についてのみ熱く語ってきたクマコですが、今までのジャニオタ人生の中で嵐だけを一途に想ってきたわけではありません。
二宮和也くんとの出会いで、ジャニオタとして目覚めるキッカケをもらってからというもの、嵐さんだけではなく「ジャニーズ」が大好きになりました。
そのため、基本的にジャニーズ事務所に所属しているタレントさんのすべてを応援しています。
(たま~に例外的にどうしても好きになれない方もいるのですが・・・)
ですから、嵐がNo.1なのはずっと変わらないものの、これまでも他のグループをつまみ食いのように応援してきたのです。
例えば、岡田准一くんの美しさに心を奪われV6のCDを買ったり。
実を言うと、ドラマ「木更津キャッツアイ」を見ていたのは、櫻井翔くんではなく岡田くんが目当てだったのです。
(当時は「嵐」というより、二宮くんが好きだったので。)
岡田くんのことは今でも好きですし、同じV6では、イノッチこと井ノ原快彦さんの包容力にやられています。
他にも、NEWSがデビューした頃のお話。
ちょうどアイドルに興味を持つ年代となっていたクマコの同級生たちは、一斉にNEWSに心を奪われていきました。
しかし、当時すでに嵐が大好きだったクマコ。
最初のうちは『NEWSより嵐の方が断然カッコイイのに、なにさ!!』と思っていたのですが、少しすると、「周りの子と一緒にアイドルについて語ることが出来る」ということの魅力に気づきます。
そして元々、ジャニーズJr.だった頃から山下智久くんのあまりの美しさに魅了されていたこともあり、あえなく陥落。
結局、デビューシングルの「NEWSニッポン」を買いに、コンビニへと走ることとなったのです。
その頃、関ジャニ∞と兼任していた錦戸亮くんのことも好きだったので、しばらくはNEWSに熱視線を送っていました。
また、NEWSのデビューとあわせて、「ザ少年倶楽部」を毎回見るようになったクマコ。
当時Ya-Ya-yahとして活躍し始めていた薮宏太くん、八乙女光くんの「やぶひかコンビ」に出会い、その愛らしさに胸をうたれます。
年上のNEWSやKAT-TUNのメンバーたちに遊んでもらう「やぶひか」。
お兄さんたちも「やぶひか」も、本当に可愛らしかったです。
そして2人は、クマコにとっては初めて出会う、同年代のジャニーズアイドルでした。
そんな親近感もあり、2人が大きくなってからも、なんとなく応援していたクマコ。
「やぶひか」がついに、Hey!Say!JUMPとしてデビューすると知ったときは、知り合いの子がデビューしたかのような嬉しさと、感慨深さのようなものを感じました。
また、JUMPの知念侑李くんは、クマコと同じ静岡県の出身。
地元も近かったため、ジャニーズJr.ながら映画「NIN×NIN 忍者ハットリくん THE MOVIE」に抜擢された頃には、『この近くから、そんなスターが出るなんて』と、ちょっとした騒ぎになっていました。
そんなこともあり、クマコにとっては親近感の塊ともいえるHey!Say!JUMP。
嵐のTimeコン東京ドーム公演で、ゲストとして出演したJUMPくんたちを、遠目ながら生で見られたこともあり、自然な流れで好きになっていきました。
その後、あれよあれよという間にJUMPのセンターへと上り詰めていった山田涼介くんの、可愛らしいルックスとダンスでの魅せ方の上手さに、ギュッと心をつかまれて、より熱心にJUMPくんを応援するようになります。
それまでは手を出さなかった嵐以外のグループのライブDVDをついに購入。
当然のことながら、嵐とは違った演出の数々を見て、ジャニオタとして新たな扉を開かれた気がしました。
その他にも、生田斗真くんは「天才てれびくん!」や「ひとりでできるもん!」に出演していた頃から好きですし、風間俊介くんは「金八先生」での健次郎役の衝撃が忘れられなくて、その後の作品もチェックしています。
長くなってしましましたが、とにかくジャニーズが大・大・大好きなクマコ。
デビューしたジャニーズのグループは逐一チェックし、「ザ少年倶楽部」は毎回欠かさず見て、新たなジャニーズのスターが生まれていくのを見逃さないように、常にアンテナをはっているのです。
Sexy Zoneとクマコの出会い
これまでにお話してきたように、常にジャニーズの新グループについてはチェックを欠かさないクマコなので、Sexy Zoneがデビューした時も同じようにチェックしていました。
もともと、NYC boysや中山優馬w/B.I.Shadowとして一足先にデビューしていた中島健人くんと菊池風磨くんについては知っていましたし、2011年10月に「BSスカパー!」が新チャンネルとしてスタートするのにあわせて始まった番組「Johnny's Jr. land」の無料放送や少クラを見ていたこともあり、他のメンバーについてもなんとなく知っている状態でしたので、王道のワールドカップバレーボールでデビューを果たしたSexy Zoneに興味深々でした。
しかし、当時はメンバーの平均年齢が14.2歳というジャニーズ史上最年少でのデビューが話題となるほど若いメンバーたち。
『可愛い子たちだな』とは思いましたが、まだまだ「子供」という印象が強く、そこまで『応援したい!!』とは思いませんでした。
「Sexy Zone」という名前も、『ジャニーさん、こんな子供にSexy Zoneって何考えとんねん!?』と思っていたほどです(笑)。
しかしデビュー会見で、ワールドカップバレーボールでのデビュー組の先輩で、同じポニーキャニオンからのデビューだった『嵐のようになりたい』とメンバーが語っていた、というのを聞き、『いい子たちじゃないか』とあっさり気持ちが変化し、応援するようになっていきました。
とはいうものの、特にCDやDVDを買うわけではなく、ただなんとなく気にしている、というぐらいの気持ち。
まだまだセクゾちゃんたちの魅力に気づけていないクマコなのでした。
セクゾの魅力にハマっていくクマコ
そんなクマコの気持ちが変わっていったのは、2015年も終わりに近づく頃のことでした。
2015年の10月21日に発売された「カラフルEyes」で、約1年ぶりに5人体制での活動を再開したSexy Zone。
それまでのセクゾといえば、年長組の3人と、松島聡くん・マリウス葉くんとのグループ内格差が話題になっていて、遠くから見ていても複雑な気持ちにさせられるような状態が続いていましたから、ようやくいい形で活動できるようになったんだな、となんだか安心したことを覚えています。
メンバーにとってもファンのコたちにとっても、「暗黒の時代」とも言える3人体制が終わったことで、その頃からグループの雰囲気がどんどん良くなっていくように見えました。
そんなセクゾちゃんたちを見ていて、『あれ、なんかいい感じだぞ?』と思い始めたのがキッカケとなり、Sexy Zoneを注視するようになっていったクマコ。
その後、2016年7月期に放送されたドラマ「時をかける少女」に[深町翔平/ケン・ソゴル]役で出演した風磨くんを『カッコイイ!!』と思うようになります。
それが風磨くんの反抗期があけた頃とちょうど重なって、これまであまりいい印象がなかった風磨くんの良さがイッキに見えるようになりました。
(風磨担のみなさん、気を悪くされたらすみません。)
その後、ジャニーズのアイドルさんたちについてネット記事を書くアルバイトを始めたクマコは、嵐・Hey!Say!JUMP・Sexy Zoneを担当し、それぞれのグループやメンバーについて、色々と調べるように。
その中で、それまであまり知らなかったセクゾちゃんたちのエピソードや人柄を知っていくうちに、『この子たち、なんていい子たちなんだ!!』と感動にまで似た気持ちを抱くようになり、気づいた時には『ジャニーズの若手グループの中ではSexy Zoneが1番好き』、と思うようにまでなっていたのです。
今年(2018年)に入ってからも、どんどん気持ちは大きくなり、Sexy Zoneの過去のアルバムやライブDVDを購入。
金銭的な面や体力的な不安もあり、どうしても「かけもち」に抵抗があったクマコですが、6月30日㈯に行われた「嵐のワクワク学校'18」を見に行った際、助手を務めたセクゾちゃんたちを初めて生で見たことで、ついに、かけもちを決意し、ファンクラブに入会するに至りました。
2018年の8月に、聡くんカラーの緑の会員証が届き、晴れてセクガルさんたちの仲間入りを果たした時には、なんともいえぬ達成感といいますか、『これでようやくセクゾちゃんたちを見守っていけるぞ』といった、喜びと興奮に溢れた気持ちでした。
・・・ということで、これまで6回にわたってクマコのジャニオタ人生をご紹介してきたわけですが、正直言って、まだまだ話したりません!!
人生の3分の2以上をジャニオタとして過ごしてきた私にとって、「ジャニオタである」ということが、アイデンティティの大部分を占めているわけです。
ですから、これからも少しずつ、ジャニーズ・嵐・Sexy Zoneへの愛を語っていきたいと思いますので、興味のある方は、また遊びに来ていただければと思います。
それでは。
本日がみなさんにとって良い1日となりますように。
さようなら。
ジャニオタ☆クマコの軌跡⑤~クマコを救ったTimeコン編~
みなさん、こんにちは。
今回も前回に引き続き、クマコのジャニオタとしての歩みを、嵐への愛を叫びながら、お話ししていきたいと思います。
前回の、クマコが嵐のコンサートへ初めて行った時のお話はコチラ↓
shironomiyakumako.hatenablog.com
今回は、クマコがさらに嵐にのめり込むキッカケとなったTimeツアーについて、お話ししていきましょう。
少し長くなってしまいますが、どうぞ最後までお付き合いいただければと思います。
それでは、「ジャニオタ☆クマコの軌跡」第五章…クマコを救ったコトバノチカラ
はっじま~るよ~
みんな大好き♡「ARASHI SUMMER TOUR 2007 Time-コトバノチカラ-」
嵐が2007年の夏に行ったライブツアー「ARASHI SUMMER TOUR 2007 Time-コトバノチカラ-」は、11年経った今でも嵐ファンから根強い人気を誇るツアーです。
前年の2006年に初のアジアツアーを行い、その凱旋記念最終公演として、2007年4月には嵐にとって初めてとなる、単独でのドーム公演「ARASHI AROUND ASIA +in DOME」を成功させた嵐。
その勢いをそのままに発表された今ツアーでは、嵐の人気の高まりを証明するように度重なる追加公演が決定し、最終的には再々追加という形で2大ドーム公演まで行われました。
まさに、嵐が国民的グループへと成長する過程の、大きな波がぐんぐんキテいた時代を象徴するツアーとなったわけです。
思い出しただけでも胸がアツくなるツアーの日程を、追加公演の情報もあわせて見ていきましょう。
「ARASHI SUMMER TOUR 2007 Time-コトバノチカラ-」
【日程】☆は追加公演、★は再追加公演、★★は再々追加公演
- 7/14㈯ 18:30
- 7/15㈰ 13:00/17:00
- 7/16㈪ 11:00/15:00
北海道立総合体育センター(北海道)
- 7/21㈯ 18:30☆
- 7/22㈰ 13:00/17:00
横浜アリーナ(神奈川県)
- 7/28㈯ 18:30☆
- 7/29㈰ 13:00/17:00
- 7/30㈪ 14:30
- 7/31㈫ 14:30/18:30
- 8/ 1㈬ 14:30/18:30
長野ビックハット(長野県)
- 8/ 5㈰ 13:00/17:00
石川産業展示館4号館(石川県)
- 8/ 8㈬ 14:00/18:30
- 8/11㈯ 14:30★/18:30☆
- 8/12㈰ 12:00/16:00
マリンメッセ福岡(福岡県)
- 8/14㈫ 14:30/18:30
鹿児島アリーナ(鹿児島県)
- 8/17㈮ 14:30/18:30
日本ガイシスポーツプラザ ガイシホール(愛知県)
- 8/21㈫ 14:30★/18:30
- 8/22㈬ 14:30/18:30
グランディ・21 ホットハウススーパーアリーナ(宮城県)
- 8/25㈯ 18:30☆
- 8/26㈰ 13:00/17:00
- 8/29㈬ 14:30☆/18:30☆
- 8/30㈭ 14:30/18:30
- 9/ 1㈯ 14:30☆/18:30☆
- 9/ 2㈰ 13:00/17:00
京セラドーム大阪(大阪府)
- 9/23㈰ 18:00★★
- 9/24㈪ 14:00★★
東京ドーム(東京都)
- 10/7㈰ 18:00★★
- 10/8㈪ 18:00★★
14会場で全47公演を行ったTimeツアーは、2018年現在まで嵐にとって最大公演数を記録しています。
いわゆる「アリーナ時代の嵐」を感じられる最後のツアー、ということで思い入れのある方も多いことでしょう。
そして、アルバム「Time」が良曲揃いだったこともあり、セットリストや構成の部分でも随一の人気を誇っていますね。
Timeツアーのとき、クマコは・・・
そんなTimeツアーは、クマコのなかでも1、2位を争うほどに思い出深いツアーなのですが、それには上記に書いたこととは別に、個人的な理由が大いに関係しています。
この時、クマコは高校3年生。
進路や将来について考える、人生にとって大切な時期だったのですが、高2の時に体調を崩したクマコは、薬の影響もあり、それまで通っていた高校へ通い続けることが難しくなってしまい、通信制の高校へと転校することとなりました。
その時の詳しいお話はコチラ↓をご覧ください。
shironomiyakumako.hatenablog.com
高3の1学期をもって、今までの環境や仲が良かった友達たちとお別れをしたクマコ。
人生で初めて大きな挫折を経験した悲しみや喪失感。
そして、新しい学校への不安や期待も織り交じった複雑な気持ちのまま迎えた夏休みに、Timeツアーへと足を運ぶこととなるのです。
人生に1度!?の神席 at 浜松アリーナ
クマコが行ったのは、地元の静岡県にある浜松アリーナで行われた2007年8月30日㈭の第2部18:00の回でした。
まずはその日のセットリストをご覧ください。
- Everybody前進
- Di-Li-Li
- きっと大丈夫
- Oh Yeah!
- Friendship(相葉)
- Can't Let You Go(櫻井)
- 時代
- Yes?No?
- CARNIVAL NIGHT part2
- 虹(二宮)
- 太陽の世界
- WAVE
- Love Situation
- a Day in Our Life
- ハダシの未来
~MC(潤くんの誕生日をお祝い)~
~うらあらしコーナー~
16.Kissからはじめよう(二宮くんリクエスト)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
17.LIFE
18.Hero
19.Yabai-Yabai-Yabai(松本)
20.Song for me(大野)
21.Cry for you
22.言葉より大切なもの
23.君のために僕がいる
24.PIKA☆☆NCHI DOUBLE
25.A・RA・SHI
26.サクラ咲ケ
~あいさつ~
27.Be with you
28.Love so sweet
アンコール①
29.We can make it!
30.ファイトソング
31.Happiness
アンコール②
32.Future
アンコール③
33.ROCK YOU
浜松アリーナは最大収容人数が約8000人という、今の嵐の人気では考えられないほどの小さな会場です。
クマコにとっては、それまでにも度々、私用で訪れたことのある馴染み深い会場であり、4年前の「いざッ、Now」ツアーで悔しい音漏れ参戦をした因縁の?会場でした。
そんな浜松アリーナで、クマコは人生に1度あるかないか!?というほどの神席に巡り合ったのです。
当時のチケットがコチラ
券面では分かりにくいですが、アリーナ席のステージに向かって右端の(確かBブロック)、前から2列目の席!!
2列目といっても、端っこの方で前に人がいないという実質1列目の席ですよ!!
ステージの近さが半端じゃない!!これはヤバい!!!
・・・ゴホン。
思い出して興奮してしまい、失礼しました(笑)
こんなに素晴らしい幸運が自分に訪れるなんて。
『これは、あまり報われなかったけれど、これまで勉強や学校のことを一生懸命やってきたことへのご褒美なのかもしれないな』と、その時のクマコは思いました。
『がんばっていさえすれば、きっといいことがある』。
この時感じた希望が、その後、何年も私の心を灯し続けてくれたのです。
それほどまでに、嬉しい嬉しい出来事でした。
それではここからは、この日のコンサートについてクマコが覚えていることを挙げていきたいと思います。
- 「WAVE」での、会場みんなでウェーブをしようという企画の一体感が素晴らしくて、嵐ファンの団結力を感じました。
- MCで、この日が誕生日の当日だった松本潤くんをJr.と嵐がお祝いしたのですが、メンバーは「花より男子」の道明寺のイメージでワインやシャムネコなどをプレゼント。雰囲気を出すためにガウン風のバスローブを潤くんに着せ、猫を持たせるという謎の展開に、当人は喜ぶというより困惑していました。しかもメンバーがシャムネコと言っていたのは、どうみてもペルシャネコでした(笑)。
- 母曰く、ステージから近い席だったため『ワインを飲んだ潤くんの首筋が赤くなるのが見えた』そうです。
- 「うらあらし」のコーナーでは何故か、アメリカ在住 二宮和也さんからのリクエスト曲が披露されました(笑)。
- 「Cry for you」のダンスでターンしたときの二宮くんの足がキレイで、今でも残像が目に浮かびます。そして特攻の炎が近くて、熱かったこと。その熱ささえも嬉しかったこと。
- クマコの席は残念ながらムービングステージの動線外だったのですが、アンコールに差し掛かったころ、ムービングステージから下を覗き込んだ二宮くんが、私の手書きの「二宮くん」ウチワを見てニコッと笑ってくれました!!これが二宮くんと目が合った最初で最後(今のところ)です。
- その当時、まだCDが発売される前だった「Happiness」を聞けたのがコンサートならではで嬉しかったのを覚えています。
と、なんとも断片的でとりとめもない記憶ばかりで申し訳ない感じですが、とにかくステージが近くて、メンバーとの距離が本当に近かった。
そして何より、二宮くんと目が合った。←ココ最重要事項!!
というのが、私のTimeコン浜松公演の思い出でした。
どん底のクマコを救った潤くんのコトバノチカラ
浜松公演で、嵐に希望をもらったクマコでしたが、その後色々あり、新しい学校へ行くことが出来なくなってしまいました。
そんな最中、気分転換になればと母に連れて行ってもらった、前の高校のスポーツ祭。
もちろん参加は出来るはずもなく、みんなの楽しそうな姿を見ているしか出来ないことに、果てしなく孤独を感じたクマコ。
『もうここには、自分の居場所はないんだ』と。
転校したことの意味を実感し、寂しさや悔しさがぐちゃぐちゃになって、自分でもどうしていいのか分かりませんでした。
どこにも居場所がなくなってしまった気がして、毎日泣き続け、本当にどん底の気分で、生きているのが嫌になって。
でも、死ぬ勇気はなくて。
(今は、生きることの方が勇気ある選択だったと思っています。この時は、自分しか見えていませんでした。)
そんな毎日を送っていたクマコを元気づけようと、母が、その年に2回目となる嵐のコンサートへ連れて行ってくれました。
それが、2007年10月7日㈰に行われたTimeコンの東京ドーム公演です。
その東京ドーム公演での潤くんのあいさつ。
『最後に、ここにいるみんなはひとりじゃないから。
俺がいるから。俺ら、5人がいるから。
しかも、こうやって一緒に楽しめる仲間がいるじゃないですか。
なんで、また集まって笑顔になれればいいなって思います。』
この言葉でなんとか生きていこうと思えたのです。
『あぁ、私には嵐がいてくれるんだ』
『居場所がなくても、嵐がいてくれるんだ』
そう思って、少しだけ前を向くことが出来ました。
そしてその直後、披露された「Be with you」の2番の歌詞。
『君の目に映る全ての悲しみ
その痛みぬぐえたら
遠い過去 君が置き去りにした夢
全部叶えよう』
この歌詞が、その時のクマコに向けて語りかけてくれているように聞こえて、ただただ涙が出ました。
コンサートで泣いたのは、これが初めてでした。
このとき嵐がくれたコトバノチカラの数々が、私をずっと支えてくれたように思います。
決して人に誇れるような人生ではないけれど、いつも嵐がそばにいてくれる。
また嵐に会いに行けるようにがんばろう。
そう思って、今日まで生きてきました。
このTimeコンを経て、クマコにとって嵐がそれまでよりもっと大切なかけがえのない存在になっていったのです。
長くなってしまいましたが、以上が、Timeツアーがクマコにとって思い出深いツアーとなった理由でした。
実は私、この頃の記憶があまりないのです。
あんまり悲しかったから、忘れてしまったのでしょうか。
それでも、嵐に関することはしっかり覚えているようで。
今回、改めて思い返してみて驚きました。
そして1つ思ったことがあります。
それは、あの言葉を言ってくれた当時の潤くんには、もしかして何か辛いことがあったのではないか、ということ。
潤くん自身や、潤くんの周りの人たちで、なにか悲しい思いをしてた人がいたからこその、あの言葉だったのかもしれません。
もしそうだとしたら、潤くん自身もコンサートで元気を貰っていたのかもしれないな、と今さらながら思い至りました。
当時の私は、自分のことでいっぱいいっぱいで、気づくことが出来ませんでしたから。
といっても、あくまで私の憶測でしかないのですが・・・。
この頃のことを思い出すと動揺してしまうので、あまり思い出さないようにしていたのですが、また体力があるときにTimeコンのDVDを見てみたいと思います。
そしてどうか、私たちファンも、潤くんや嵐のみなさんに『元気を与えられる存在』でありますように。
嵐さんたちにもらった愛を少しでも返せていますように。
そう願った今日この頃なのでした。
さて、次回のお話は~??
クマコ、SexyZoneに心を奪われる!? です。
興味のある方は、また遊びに来てくださいね。
それでは、よい1日を。
さようなら。
つづきはコチラ↓
shironomiyakumako.hatenablog.com
ジャニオタ☆クマコの軌跡④~初めてのコンサート・アラシックツアー編~
みなさん、こんにちは。
今回も前回に引き続き、ジャニオタとしてのクマコの歩みを、嵐さんとの思い出とともに振り返っていきたいと思います。
ようやくファンクラブに入会し、憧れの二宮和也くんに会うことが出来た前回のお話はコチラから↓
shironomiyakumako.hatenablog.com
今回は、クマコがついに!!嵐のコンサートへ初参戦したときのお話です。
少し長くなりますが、お付き合いいただければと思います。
それでは、「ジャニオタ☆クマコの軌跡」第四章…初めてのコンサート・アラシックツアーへ行く
はっじま~るよ~
ライブDVDでも見れない嵐のコンサート
今では、行ったコンサートの模様を必ずライブDVD・Blu-rayに収録して、行けなかったファンにも届けてくれている嵐さんですが、デビューからしばらくの間は、行ったすべてのコンサートツアーでDVD・VHSの発売をしてくれたわけではありませんでした。
(若い方は分からないかもしれませんが、VHSとはビデオテープのことです。詳しくはお家の方に聞いてみて下さいね。)
嵐の初めてのライブVHSは2000年6月28日に発売された「スッピンアラシ」。
2000年4月6日から30日にかけて行われた「嵐 FIRST CONCERT 2000」の模様が収録されている、今ではプレミアもののVHSです。
クマコも残念ながら持っていませんので、くわしい内容は見たことがありません。
その後に発売された「ALL or NOTHING」では、コンサートの模様はダイジェストとしてしか収録されませんでした。
しかし、これも今となってはお宝品!!
メンバーそれぞれがレベルアップを目指してひとつのことに挑戦していく姿を追うというドキュメンタリーの要素もふくんだ、見ごたえのある内容でした。
クマコは当時、お家にDVDを再生する環境がなかったため、VHSを購入。
今となっては、本気で『DVDを買っとけよ!!』と、あの頃の自分に叫びたいほどに、オークションサイトなどでも高額でしか入手出来ないものとなってしまったプレミア映像ですね。
20周年を機に、上記の2つをBlu-rayで再販してくれることを切にお願い致したい!!
どうでしょうか!?
嵐さん!!J-stormさん!!!
話はそれましたが、その後、2002年夏のツアーと2002年から2003年に行われた新春ツアーはスルーしつつも「How's it going? SUMMER CONCERT 2003」、「2004 嵐!いざッ、Now Tour!!」とコンスタントにライブDVDを発売してくれたかと思いきや、
(その間の2003年から2004年にかけて行われた冬のツアーはまたもスルー)
その後に行われた夏のツアー「嵐 LIVE 2005 "One" SUMMER TOUR」は8会場27公演したにもかかわらず、翌年に発売のアルバム「ARASHIC」の初回限定盤にダイジェストDVDとして付属したのみ、というコンサートに行けなかったファンにとっては、なんとも塩対応すぎる展開でした。
(ある意味、金銭面では破格の対応だったのかもしれませんが。)
その間クマコは、まだ子供の自分をうらめしく思いながら、行きたくても行くことが出来ないコンサートへの憧れを、与えられる全てのDVDを見ることで慰めていましたが、それも我慢の限界を迎えた高校2年の夏!!ついに、嵐のコンサートへ行く日がやって来たのです。
初コンは「嵐 SUMMER TOUR 2006 "ARASHIC ARACHIC ARASHICK Cool&Soul"」
クマコが初めて行った嵐のコンサートは、2006年に行われた「嵐 SUMMER TOUR 2006 "ARASHIC ARACHIC ARASHICK Cool&Soul"」。
後に嵐ファンの総称ともいわれる「アラシック」の語源となった、
(この嵐ファンの総称については、メンバー自身が『1度も呼んだことがない』と話すなど、ファンによっても意見が分かれる複雑な問題に発展してしまいましたね)
メンバー発案のツアータイトルが印象深い、このツアーで、クマコは初めて嵐のコンサートに行くことが出来ました。
ちなみにタイトルには、
- ARASHIC:嵐らしさ
- ARACHIC:大人なシックな嵐
- ARASHICK:病的なほど嵐を好きになってほしい
というような意味が込められているんだそうです。
ここからは、ツアーの日程なども振り返りながら、クマコの思い出をお話ししていきます。
まずは日程を見ていきましょう。
「嵐 SUMMER TOUR 2006 "ARASHIC ARACHIC ARASHICK Cool&Soul"」
【日程】 ☆は追加公演
北海道立総合体育センター 北海きたえーる(北海道)
- 7/9㈰ 13:00/17:00
- 7/16㈰ 12:00/16:00
横浜アリーナ(神奈川県)
- 7/22㈯ 18:00
- 7/23㈰ 10:00☆/14:00/18:00
- 7/29㈯ 18:00
- 7/30㈰ 10:00☆/14:00/18:00
ビックハット(長野県)
- 8/2㈬ 14:30/18:30
マリンメッセ福岡(福岡県)
- 8/9㈬ 14:00/18:00
- 8/13㈰ 12:00/16:00
グランディ・21総合体育館(宮城県)
- 8/16㈬ 14:30/18:30
名古屋市総合体育館レインボーホール(愛知県)
- 8/19㈯ 14:00☆/18:00
- 8/20㈰ 10:00☆/14:00/18:00
- 8/23㈬ 18:30
- 8/24㈭ 14:00/18:00
横浜アリーナ(神奈川県)
- 8/29㈫ 10:30☆/14:30/18:30
- 8/30㈬ 10:30☆/14:30/18:30
- 8/31㈭ 14:30☆/18:30☆
嵐さんたちがよく話している、1日3回公演が行われたツアーとは、この「アラシックツアー」のことです。
見ていただいても分かるように、追加公演が多く、嵐人気の高まりを感じられながらも、なんとも過酷な日程となっています。
このツアーの成功があり、嵐は同年、初めてのアジアツアーを開催。
嵐さんたちが、過酷な日程にも負けず、毎公演毎公演、全力でファンを楽しませ続けたことが、今の国民的な人気の下支えになっているのではないかと思います。
2006年8月9日㈯ 18:00の回 名古屋レインボーホール
クマコが行ったのは、名古屋のレインボーホール(現在のガイシホール)で行われた、2006年8月9日㈯の18:00の回でした。
その日のセットリストがコチラです。
- きっと大丈夫
- サクラ咲ケ
- Lucky Man
- JAM
- 身長差のない恋人
- 俺たちのソング
- Raise Your Hands
- ハダシの未来
- いつかのSummer(相葉・櫻井)
- キャラメルソング(二宮・相葉・櫻井)
- Tell me what you wanna be?(松本・二宮)
- Ready To Fly
- CARNIVAL NIGHT part 2
~MC~
14. 大宮SK
~うらあらしコーナー~
15. アオゾラペダル
16. Secret Eyes(相葉・大野・櫻井)
17. 超2ありがとう(櫻井・二宮・松本)
18. LOVE PARADE
19. シルバーリング
20. COOL&SOUL
21. I Want Somebody
22. ランナウェイ・トレイン
23. EYES WITH DELIGHT
24. 君のために僕がいる
25. NA!NA!NA!(二宮・相葉)
26. 五里霧中
27. a Day in Our Life
28. 言葉より大切なもの
29. 感謝カンゲキ雨嵐
30. YES?NO?
31. WISH
アンコール①
32. A・RA・SHI
33. PIKA☆☆NCHI DOUBLE
アンコール②
34. 台風ジェネレーション
このセットリストは、最近になって調べたものなので、もしかしたら間違っているかもしれません。
8月9日の第2部の正しいセットリストをご存知の方がいらっしゃったら、コメント欄などで教えていただけるとうれしいです。
もう12年も前のことですので、残念ながらすべてを鮮明には覚えていませんが、クマコの記憶に残っているのは、
- 「キャラメルソング」での二宮くんを中心とした3人のかわいらしいダンス。
- 相葉雅紀くんと櫻井翔くんが「いつかのSummer」で会場を周回しながらクマコの席の近くにも来てくれたときに、サビ部分で腕を頭上で回す振付をしていたこと。
- 「Tell me what you wanna be?」で、ギターを弾く二宮くんを見ることが出来た興奮。
- 憧れつづけて、ようやく初めて見ることが出来た大宮SKが、卵を混ぜる音のマネという謎ネタを披露していた時の衝撃。歌もすごすぎて、『なんだこりゃ~!?』って思ったことしか覚えていないほど(笑)。
- 2年前に音漏れ参戦で聞いた「五里霧中」をようやくきちんと聞けた喜び。
- 今ではもう、なかなか聞くことの出来ない「台風ジェネレーション」の冒頭部分で二宮くんの語りを生で聞けたこと。
といっただいぶ、主観的で断片的ですが、このようなことです。
あの有名な会見風の演出については、あんまり覚えてないという残念なクマコの記憶・・・。
実は1番覚えているのは、開演の5分前くらいに一緒に行った母がトイレに行きまして。嵐が出てくる直前のカウントダウンが始まっても、なかなか戻ってこないので『始まっちゃうよ~!!!!』と焦りながら、初めて嵐を全員見ることの出来るドキドキと1人で戦っていたことなんです(笑)。
結局、本当にギリギリで母は開演に間に合ったのですが、あの時のドキドキが1番印象的だったというのですから、人間の記憶っておもしろいですよね。
ちなみに、この「アラシックツアー」も単独では映像化されておらず、その後に行われたアジアツアーの模様を収めたDVD「ARASHI AROUND ASIA Thailand-Taiwan-Korea」に吸収される形での発売となりました。
そのため、公演の全ては収録されておらず、ダイジェスト版になってしまっています。
アジアツアーのDVDは分量的にも申し分なく、とくに初回限定盤は見ごたえがあって素晴らしいのですが、出来れば「アラシックツアー」は別にして、MCや大宮SKなども含んだ完全収録にして欲しかったです。
20周年でなくてもいいので、映像化されていないツアー全部を、どうにかBlu-rayとかで発売してくれませんかね・・・。
今なら需要はバッチリだと思うのですが、どうでしょうか!?
お願いしますよ!!J-stormさん!!!
さて、そんなこんなで、ようやく嵐のコンサートへ参戦することが出来たクマコ。
初めてのコンサートで、その楽しさに病みつきとなり、その後たくさんの嵐コンに参戦することとなります。
さぁて、次回のお話は~??
クマコ、嵐に心を救われる です。
興味のある方は、また遊びに来てくださいね。
それでは、さようなら。
つづきはコチラ↓
shironomiyakumako.hatenablog.com
ジャニオタ☆クマコの軌跡③~念願の生ニノさん編~
みなさん、こんにちは。
今回も前回に引き続き、ジャニオタとしてのクマコの軌跡を、嵐への溢れんばかりの愛をともにご紹介していきたいと思います。
前回のお話はコチラ↓
shironomiyakumako.hatenablog.com
それでは、「ジャニオタ☆クマコの軌跡」第三章…念願の🈠生ニノさん
はっじま~るよ~
あまりの悔しさからファンクラブ入会を決意したクマコ
クマコが嵐のファンクラブに入会したのは2004年の春でした。
今となっては、せっかく早い時期に嵐に出会えたのだからもっと早く入会しておけば・・・
と思うのですが、入会金5000円と年会費の4000円は、当時の私にとっては大金でしたので、なかなか入ることが出来ませんでした。
それに、クマコの住んでいるところが都会的な方ではなかったせいなのか、時代のせいなのかは分かりませんが、当時の私の周りにはアイドルのコンサートに行ったことがあるコはおろか、ファンクラブに入会しているコは1人もいなかったので、『ファンクラブに入る』という概念も中学生になるまでは思いもつかなかったのです。
また、クマコは相当に過保護で、ほどほどに保守的な家で育ちました。
あれは、2002年頃だったでしょうか。
1度、新聞の番組欄に嵐のコンサートチケットがプレイガイドで売り出されているという広告を見つけ、『コンサートに行きたい!!』とお願いしたことがあったのですが、クマコがまだ小さかったこともあり、まったく取り合ってもらえず、涙をのんだことがありました。
(確か「ARASHI STORM CONCERT 2003 新嵐 ATARASHI ARASHI」の名古屋公演だったと思います。)
その後、2004年の夏に行われたツアー「2004 Dの嵐! Presents 嵐! いざッNow Tour!!」で、地元の静岡県での公演があることを知り、グッズだけでもと会場に行った際、チケットがとれなかった他のファンの方たちとともに、会場の外でかすかな音漏れを警備員さんに威嚇されながら聞くという、いわゆる音漏れ参戦を初体験します。
(実は、この時も母に連れて行ってもらいました。)
近くに憧れ続けた嵐がいるのに、会うことはおろか、ひと目姿を見ることすら出来ない。
そのあまりの悔しさから、ついにファンクラブに入会することを決意!!
(今では、警備員さんはお仕事ですし、音漏れ参戦は時に嵐さんたちに迷惑をかけてしまうこともあると理解していますので、当時のこの行動については反省しています。)
そして、クマコが高校生になるころには、私の嵐への情熱を理解してくれた両親が、東京などへの遠征にも協力してくれるようになったのです。
クマコが通っていた高校は、バイトが禁止でしたので、私だけでは金銭的にも遠征はとても厳しかったので、両親には本当に感謝しています。
6年越しの想いが叶った舞台「理由なき反抗」
そんないきさつがあって訪れた2005年。
前回お話ししたフィルムフェスタも経て、憧れの二宮くんへの想いが募りに募ったクマコのもとに、ようやくそのチャンスが訪れます。
それが、舞台「理由なき反抗」でした。
ここで「理由なき反抗」について少しおさらいを。
舞台「理由なき反抗」
【日程】
【脚本】堤 幸彦/中津留 章仁
【演出】堤 幸彦
【出演】二宮 和也 [ジム]
貫地谷 しほり[ジュディ]
郭 智博 [バズ]
豊永 俊行 [プレイトー]
野添 義弘 [レイ]
大島 蓉子 [家政婦]
【あらすじ】
暴力事件を起こし、新しい街への引っ越しを余儀なくされた17歳の少年ジムは、家族やあらゆるものへのイラ立ちを抱えていた。
ある夜、お酒を飲んで酔っ払ったジムは、身に覚えのない暴行事件の犯人として捕まってしまう。
警察署で出会った同級生のジュディとプレイトーも、同じく家族へのイラ立ちを抱えていた。
大人への不信感を募らせる3人だったが、少年保護係であるレイのおかげで帰宅を許される。
翌日、転校先の学校で再会したジュディは、バズが率いている不良グループの仲間だった。
ジムに目をつけたバズは、ことあるごとにジムを挑発してくるが、プレイトーの助言もあり無視を決め込むジム。
しかし、ついに我慢が出来なくなったジムはバズとケンカになり、チキンレースで決着をつけることに。
崖の上で初めて2人きりになったジムとバズは、お互いを友人として認めあったのだが、レースの最中、バイクのブレーキが故障してしまったバズは、崖から落下して亡くなってしまい・・・。
当時のチケットとパンフレットがコチラ。
「ハンドク!!!」や「Stand Up!!」、「ピカンチ」シリーズなどでタッグを組んだことのある堤幸彦監督の脚本・演出で上演された舞台。
恥ずかしながら、1度しか見に行けなかったクマコは、内容のほとんどを忘れてしまっていたのですが、その当時までで6年間好きだった人にようやく会えた喜びと衝撃は決して忘れることはありません。
クマコが行ったのは4月9日㈯の13:00開演の回。
舞台自体、初めての観劇でしたが、母と一緒に行った2つの座席の内、1つが通路に面した席だったので、野生の勘がはたらいたクマコは、もしかしての期待も込めて通路側の席に座ることにします。
そして、なんと!!その期待と予想が見事に的中し、舞台の演出のひとつとして、その通路を二宮くんが通っていったのです!!!
右側を見上げた、私の視線の先・・・
金髪風オールバックヘアーの二宮くんが伏し目がちに通っていく。
あの時の興奮を言葉で表すのは難しいですが、喜びも超えた興奮と感慨深さのような気持ちと、とにかくハッピーな気持ちで胸がいっぱいになりました。
舞台の内容をあまり覚えていないのは、その興奮のせいであったのではないかとも思います。
二宮くん演じるジムが悲痛な叫びを上げたところで、物語が終了し、カーテンコールで何度も二宮くんが出てきてくれた後、舞台は終演。
終演後は、初めて二宮くんを見ることが出来た興奮や、生のお芝居の熱量に圧倒され、足元がフラフラしていたことを、今でも思い出します。
今回は、初めて生の二宮くんと出会えた時の、クマコにとってかけがえのない大切な思い出についてお話してきました。
改めて思い返してみると、当時の会場の様子や興奮を、自分で思っていた以上に覚えていることに気付き、とても有意義な時間を過ごすことが出来たと思います。
あくまでもクマコ自身にとっては、の話ですが・・・(笑)
さぁて次回のお話は~??
クマコ、いよいよコンサートに参戦する!!です。
興味のある方は、また遊びに来てくださいね。
それでは。
こんな自己満足な文章にお付き合いくださって、ありがとうございました。
つづきはコチラです↓
shironomiyakumako.hatenablog.com
ジャニオタ☆クマコの軌跡②~初めてのなまあらし編~
みなさん、こんにちは。
今回は、前回に引き続きジャニオタとしてのクマコの軌跡を、嵐への愛とともにつづっていきたいと思います。
クマコがジャニオタとして目覚めた際のお話はコチラ↓
shironomiyakumako.hatenablog.com
それでは、「ジャニオタ☆クマコの軌跡」第二章…クマコ、初めて生の嵐に出会う
はっじま~るよ~
呼ばれて飛び出て嵐ジャン!!!フィルム・フェスタ2003
クマコが初めて生の嵐に合うことが出来たのは、嵐を好きになってから数年経った、2003年のことでした。
2003年7月9日に発売された、嵐にとって3枚目のオリジナルアルバム「How's it going?」の初回限定版に封入されていた応募券をハガキで送った(ネットでも応募可でしたが、当時のクマコ家にはネット環境がなかったので)ところ、なんとも幸運なことに「嵐 How's it going? 呼ばれて飛び出て嵐ジャン!!!フィルムフェスタ2003」に当選して、参加できることになったのです。
これがアルバムに入ってたお知らせの画像です。
ちょっと折れたりしているところはスルーしていただいて・・・。
しかし、これはかなり懐かしい!!
実はクマコ、ひとつ前のアルバム「HERE WE GO!」のときも応募したのですが落選しまして・・・。
落選者が貰える、いわゆるB系のイラストが描かれたシールをいただいていました。
『せめて顔写真のものにして欲しかった・・・』
と思ったシールがこちら↓
ひとつ使ってしまったところに、自分の若さを感じます(笑)
今だったら絶対に使わないで全部とっておきますよ!!
・・・とまぁそんな過去があったため、当選のお知らせが送られてきたときは、それはもう相当に舞い上がりました。
クマコが参加したのは、2003年9月28日に行われた名古屋公演の3回目。
今はもう潰れてしまった名古屋のライブハウス「OZON」で行われたので、当時中学生で静岡在住のクマコは、父親に車を運転してもらい、さらに母親にもついて来てもらうという過保護極まりないスタイルでの参戦となりました。
車の中ではもちろん!「How's it going?」をエンドレスリピートして気持ちを高めていましたよ。
今思えばこの頃から、家族を巻き込んで嵐を応援していたんだなぁと・・・。
家族への感謝の気持ちを忘れないようにしたいクマコです。
初めてのなまあらしは大好きな二宮くん!?
「嵐 How's it going? 呼ばれて飛び出て嵐ジャン!!!フィルムフェスタ2003」は
- 9/14 東京
- 9/15 札幌
- 9/28 大阪・名古屋
- 10/5 福岡
という日程で行われたのですが、ご覧のようにクマコが行った名古屋は、大阪と同日に行われたため、メンバーが2:3に分かれて会場に来ていました。
その分担は事前には知らされず、今のようにスマホなんてない時代ですから、会場に入るまでは誰が来ているのか分からない!というドキドキのシチュエーションです。
今では、嵐のメンバー全員を同じように愛しているクマコですが、その当時は二宮和也くんだけが好きだったので、『どうしても二宮くんに会いたい!』と思っていました。
そんなクマコの願いは届いたのか・・・
果たして結果は!?
しばらく会場の外で並んでから、応募者本人しか入れないため両親と別れ1人で入った会場。
先に入場していった方が走っている中、係りの方の「走らないでください!」を忠実に守るクマコ。
しかし、入場順にステージの近くに行けるという無情の展開にジャニオタの厳しさを思い知ります(笑)
会場内には椅子はなく、オールスタンディングで行われたフィルムフェスタ。
会場の真ん中くらいに陣取ったクマコですが、背が小さいため、つま先立ちで見ることになりました。
今までの人生で、あんなに長い時間つま先立ちしていたのは、あの時が最初で最後です。
しばらく、アルバムの曲が流れている薄暗い会場内で待っていると、メンバーが登場する前に注意事項が放送されます。
そして嵐の軌跡についてのVTRが流れて、ついにメンバーが来る!!というところで突如、客席から『大野!!櫻井!!』コールが。
二宮くんの登場を待ち望んでいたクマコにとっては晴天の霹靂!!
『まさか・・・』
と思っていると、登場したのは、コールの通り大野智さんと櫻井翔さんでした。
その時のクマコのガッカリ具合と言ったら・・・。
今考えると、学校の教室のはじからはじ程の距離で嵐さんを見られたのに『何、罰当たりなこと言ってるんだ!!』という感じですが、当時は正直ガッカリしてしまいました。
世の中そんなに甘くない!!というのを身をもって知った中学生のクマコなのでした。
初なまあらしで嵐の仕事への姿勢に感銘を受ける
フィルムフェスタでは、来られなかったメンバーからのビデオレターや「Lucky Man」のMV、ツアーの様子やDVDに入れられなかったお蔵入りVTRなど、様々な映像が流されました。
もう15年前のことなので詳しい内容は覚えていませんが、大宮SKの2人が布団かベットの上で抱き合いながら『お前が好きだ~』と言い合っていたVTRがあったことと、
(中学生の女子にはとても刺激的でした)
「USO!?ジャパン special summer ARASHI 2003 How's it going?」のツアーグッズにあった嵐のメンバーそれぞれの顔面のアップが印刷されたフェイスタオルについて、翔くんが『あのタオルを使って顔をふかれたら恥ずかしくない?』みたいな話をしていたことを覚えています。
ネットで調べると、その当時に書かれた詳細な内容のブログなんかも出てきますので、気になる方は調べてみて下さいね。
さて、こうしてクマコにとって初めての生嵐さんとの出会いは、しびれるつま先の感覚とともに、記憶に深く刻まれたわけですが・・・
このイベントのなかでとても印象的だったのは、翔くんと大野さんがVTRの再生中に、会場が暗くなってもずっとステージ上にいてくれたことです。
1日に何回も行われるイベントで、どこの会場でも同じような映像を流しているであろうに、ずっとステージにいてファンといっしょに映像を見上げてくれていた姿は、今でも忘れません。
そして、最後の方でファンの方の1人が気分が悪くなってしまったのですが、その時の2人の対応がとても優しくて、頼もしくて。
突然のハプニングでも会場のみんなを不安にさせない2人は本当にすごいなと思ったことを覚えています。
中学生ながら、嵐さんたちの仕事への姿勢、そしてファンへの思いやりに感銘を受け、さらに嵐が好きになったクマコでした。
初の生嵐さんに会って、ますます嵐という沼?にはまっていったクマコ。
次回はついに、憧れの二宮くんに会えるのか~!?
興味のある方は、また遊びに来てくださいね。
それでは、さようなら~。
続きはコチラです↓
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ジャニオタ☆クマコの軌跡①~衝撃の出会い編~
みなさん、こんにちは。
今回からは、ジャニオタとしてのクマコの歩みとともに、嵐さんへの溢れんばかりの愛についてお話ししていこうかと思います。
クマコ自身についてはコチラをご覧ください↓
shironomiyakumako.hatenablog.com
心に残っていることを、少しずつお話ししていきたいので、長くなってしまうかもしれませんが、ご興味のある方は是非覗いていってくださいね。
それでは、題して「ジャニオタ☆クマコの軌跡」第一章…衝撃の出会い
はっじま~るよ~
ジャニオタへの第一歩は彼との衝撃の出会いから始まった
クマコとジャニーズとの出会いは、今では伝説となったあの!人気番組「8時だJ」を見ていた、小学校2年生の頃に遡ります。
今となってはほとんど内容を覚えていない、その番組で、その後のクマコの人生を左右する衝撃的(ではないけれど、今考えるとそれくらい大きな出来事でした)な出会いを経験したのです。
それがのちに、国民的アイドル嵐のメンバーとなる二宮和也くんとの出会いでした。
ヤル気がなさそうなのに、なんでもさらっと出来ちゃう。
今でいう塩顔男子なジャニーズJr.の彼が、どうしてか気になって。
その出会いの後に放送されたドラマ「アブない放課後」を見終わるころには、すっかり恋におちていました。
とはいえ、その時のクマコはまだ小学生も中学年くらい。
アイドルをどうやって応援するのか、その方法すらも分かっていないお年頃でしたので、二宮君がその後、嵐としてデビューしたことも、たぶん知らなかったのではないかと思います。
それでも二宮くんが出演していたドラマ「涙をふいて」は毎週欠かさず見ていましたし、Mステで「感謝カンゲキ雨嵐」を披露したときの、二宮くんのヘアピンをつけた髪型を見て『なんて可愛いんだ!!』とクラクラしていたことは今でも覚えていますので、そのくらいには、嵐の、そして二宮くんの動向は追っていたようです。
本格的にジャニオタへの道を歩み始めるクマコ
その後、成長とともに嵐が掲載されている雑誌のスクラップを始め、CDを買い、出演しているテレビをビデオで録画して・・・といった今のスタイルに近いことをやり始めたクマコ。
ちなみに、クマコが初めて買った嵐のCDは、嵐初のベストアルバム「嵐 Single Collection 1999-2001」。
初めて買ったシングルは、「a Day in Our Life」でした。
嵐がチャレンジを重ねていた、いわゆる「オラオラ期」(クマコはそう思っている)に突入した頃、私も本格的にジャニオタとしての道を歩み始めたわけです。
当時のクマコは、この嵐さんの「オラオラ期」のCDについては、急に曲調が変わったり、ジャケットが写真ではなくイラストになったり、CD自体が小さいサイズになったり・・・。
『急にどうした!?』という戸惑いや、『普通のサイズのCDでジャケットも写真がいいな』と、ちょっぴり不満にも思っていたのですが。
今思い返せば、この頃のチャレンジがあったからこその今の嵐さんなわけですから、嵐さんの歴史的に重要な時代をともに過ごせた、というのは、とても誇らしいことですよね。
それに、シングルを500円で売ってくれたり、アルバムを2500円で発売してくれたりと、小学生のお財布事情にはうれしいチャレンジもいっぱいありました。
そんなこんなで、小学生にして本格的なジャニオタへの道を歩み始めたクマコ。
そこから20年近く、嵐さんを応援していくことになるわけですが・・・。
それはまた次のお話で。
それでは、みなさん。
またお会いしましょう。
つづきはコチラ↓
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