これまでのクマコ①~誕生から中学生編~
みなさん、こんにちは。
今回は、これまでの私の人生について書いていこうと思います。
『いや、お前の人生なんて興味ないわ‼』という方は読み飛ばしていただいて、なんの問題もありません!!
…が、読んでいただくと、このブログや私という人間がどういうものか、ということが分かっていただけるのではないかな、と勝手に思っておりますので、興味のある方はお付き合いいただければ幸いです。
それでは、題して「これまでのクマコ」第一章…誕生から中学生まで
はじまり、はじまり~
幼少期のクマコ
平成の世に、平凡な家庭の第2子として生まれたクマコ。
2歳上の兄の影響もあり、男勝りでやんちゃな女の子に成長します。
小さい頃の遊び相手は、兄と1歳下の従弟、そして隣の家に住む男の子。
男の子とばかり遊んでいた(字面だけみるとヤバいですね)ため、女の子らしいことが苦手。
小学生の頃には、なにかあるとすぐに泣くから女の子自体も苦手で、男の子の方が遠慮がなくていいし、『私も男の子に生まれれば良かったのに』と思っていました。
このころからきっと私は、ありのままの自分を受け入れることが出来ていなかったのだと思います。
兄への対抗のために優等生になったクマコ
私の兄は昔から出来の良い男でした。
なにをやってもよく出来て、要領もいい。
小さい頃から勉強も運動も遊びも、なにひとつとして兄に勝ったことはありません。2歳年上なのだから仕方ないとも思いますが、それでも小さい頃は、それが悔しくて悔しくて仕方がなかったのを覚えています。
そんな出来の良い兄に劣等感と対抗心を抱きながら育ったクマコ。
それでも小学校高学年頃になると、私にも、親や先生から褒められるものが出来ました。
それは、対人面での「感じの良さ」です。
変に正義感が強く、大人からの言いつけやルールに従順。
明るく、よく笑い、クラスの男の子とも女の子とも仲良く出来て、真面目に授業を受ける私は、自分でいうのもなんですが、大人たちからすれば都合のいい、いわゆる「いい子」でした。
そんな「いい子」の部分を褒められた私は、本当はたいして「いい子」ではないのに、という葛藤と戦いながら、その「いい子」の部分を伸ばすことに尽力し始めました。
心のどこかに、『兄に対抗するにはコレしかない』という気持ちが働いていたのではないかと思います。
そして、このころ芽生えた「いい子」であることへの執着が、今でも私を苦しめ続けているのです。
苦しみながらも「いい子」を極めた中学生のクマコ
中学生になる頃には、すっかり「いい子」が板についていた私。
中学3年生になると、部活の部長に任命され、さらに先生から頼まれて生徒会に立候補し、生徒会長になりました。
でも本当は、周りの女子からやっかまれそうで、あまり前に出たくはなかったし、私はそんな器の人間ではありません。
自分が出来ると思うことよりも大きなことを要求されることは、大きなストレスでした。
そして『いつも明るく笑顔でいなければならない』、『恥ずかしいから泣いてはいけない』と、自分に対してたくさんのルールを課しながら生活する窮屈さや、「周りから見える自分」と「本当の自分」とのギャップが、どんどん大きくなっていくことに苦しんでいました。
とはいえ元来私は、目立つことは嫌いではないし、この頃は、周りから認められている自分のことを誇りに思っていたように思います。
そんなこんなで、苦しいこともたくさんあった中学時代ですが、それと同時に楽しい思い出もたくさん出来ました。
今となってみれば、私にとっては、この時代が最後で最良の時代だったと思わざるを得ません。
その理由については、また次回、お話しすることにいたしましょう。
番外編:クマコの永遠の悩み
そんな「いい子」を極めつつあったクマコにも、年頃の女の子としての悩みがありました。
今も昔も大多数の女の子にとって「ダイエット」というものは、悩みのタネでありますが、思春期のクマコにとってもそれは大きな悩みでした。
実はクマコ、小学3年生の時にぽっちゃりデビューを果たしまして。
そのことを高学年の時、男の子にからかわれてから以来、ずっとそのことを気にしています。それは現在に至るまでです。
そのことがキッカケで、周りの目というものを気にするようになり、見た目に対するこだわりが強くなっていきました。
このこだわりが、その後のクマコの人生を大きく左右することになるなんて、このときは思いもしませんでしたが…。
つづきはコチラ↓
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