シロノミヤクマコ戦記

これは嵐・Sexy Zoneに支えられ、なんとか生きてるアラサー独女と、最大の敵「生きづらさ」との戦いの記録である

これまでのクマコ②~激動の高校時代編~

みなさん、こんにちは。

今回は、前回に引き続きクマコのこれまでの人生についてお話していきます。

前回のお話はコチラ↓

shironomiyakumako.hatenablog.com

 

興味のない方は華麗にスルーしていただいて、興味のある方や『読んでやるか』というお優しい方々は、少し長くはなりますが、お付き合いくださいね。

 

それでは「これまでのクマコ」第二章…激動の高校時代

 

はじまり~はじまり~

 

 

 

思いがけずトップになり舞い上がるクマコ

 

クマコはもともと真面目な性格でしたから、授業をしっかり受けて、テスト勉強もしっかりやっておりました。

そのため、中学時代は学年で上の下くらいの成績でした。

(ここでいう成績は学調などのテストの成績です)

数学だけはどうしても苦手でしたが、他の科目は、まあまあ出来る方でした。

また、前回お話ししたように、クマコは「いい子」ちゃんだったので、通信簿ではオール5もとったことがあります。そうです。ささやかな自慢です。

 

さて、当時のクマコは「不良」と呼ばれる方々が、とても苦手で、きちんとやるべきことをやらない人達が嫌いでした。

そういう人たちがいない高校はどこかと考え、単純に進学校なら大丈夫だろうと。

そんな理由で志望校を決めました。

やりたいことや行きたい大学は、いくら考えても思いつかなかったので、その先については特に考えず、女子なのに、制服さえも確認せずに志望校を決めてしまったのです。

この時の選択は、今でも少し後悔しています。

制服については少しではなかったかもですが(笑)

 

金銭的な理由で『どうしても公立じゃなきゃダメ!』という親からのプレッシャーや、「レベルの高い進学校に通う兄」という存在からの無言のプレッシャーを感じながら受験勉強を開始したクマコ。

(ちなみに兄も公立校で、クマコの住む地域では私立より公立の方がレベルが上でした。)

心配性な性格もあいまって、必死になって勉強します。

今となっては、当時の私の実力的に、そこまで必死にやらなくても大丈夫だったと思えるのですが、当時の私は本当に必死でした。

 

そんな必死の努力が実った私は、なんとトップの成績で志望校に合格したのです。

なにをやっても兄に勝てなかった私が、中学では上の下の成績だった私が、入学式で代表としてあいさつをしたときには、気恥ずかしいながらも努力が実ったことの喜びを感じ、舞い上がりました。

 

そして、入学後、初のテストでも学年1位を獲得。

周りの子たちから、「頭のいい子」として認知されるようになったクマコ。

俄然、やる気になり勉学に勤しんでいきました。

その後も1位、2位と、面白いほどに努力が結果につながっていきます。

高校生のクマコにとって勉強する、周りから「頭のいい子」と思われるということが、アイデンティティとなっていったのです。

 

 

クマコ、思春期痩せ症になる

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高校に入学してほどなくした頃、ソレは突然起こりました。

原因は分かりませんが、顔中にジュクジュクしたかぶれが出来るようになったのです。

楽しい高校生活を夢見ていた私は、そのかぶれによって一気にどん底に撃ち落されます。

隠しようのないところに出来たかぶれは、周りの人の好奇の目にさらされ、クマコのなけなしの自尊心を傷つけました。

もともと、見た目に対するこだわりが強かった私は、これまでに感じたことのないほどの羞恥心をおぼえ、そのせいで、それまで以上に周りの目が気になるようになってしまったのです。

 

高校2年になる頃には、かぶれはおさまっていたのに、今度は自分の体型が恥ずかしくなり、ダイエットを開始します。

元来の真面目な性格のせいなのか、強いこだわりのせいなのか、それとも勉強や友達関係へのストレスがたまっていたせいなのか…

そのダイエットは驚くほどにはかどって、高校2年の終わり頃の私は、周りが驚くほどに細くなっていました。

それでも自分では、『もっと痩せなくては』、『食べたら太る』という考えにとらわれすぎていて、おかしいことに気づきません。

寒さがこたえることと、体力が著しく低下していることは感じていましたが、自分の中ではいたって健康のつもりでした。

でも、周りは心配してくれていたようで、母が、骨のうき出た私の背中をさすりながら『死んじゃうよ…』と涙声でつぶやいていたことを今でも覚えています。

本当に親不孝な娘です。

 

結局、32㎏まで体重が減ってしまったクマコは、学校から呼び出された母と共に総合病院へ行くことになります。

( 学校としても、何かあって学校で倒れられたら困ると思っていたようで、体調が落ち着くまでは休んでいいと言われました。そりゃ、そうですよね…)

 

 最初に行った総合病院から、専門外だからと紹介された心療内科で、「思春期痩せ症」と診断され、先生に『このまま食べられなければ入院だよ』と言われて、ようやくことの重大性に気づいた私。

向精神薬などを処方されたことも手助けとなり、その日から食べられるようになりました。

 

でもそれは、そこからずっとさまよい続けることになる、深い深い迷宮の入り口に過ぎなかったのです。

 

 

クマコ、転校する

 

ようやく食べられるようになったと、みんなで喜んでいたのもつかの間、そこからは逆に過食が始まりました。

薬の影響なのか、急激に栄養を取り始めたことが関係しているのか、私には分かりませんが、何を食べても満たされず、文字通り食欲が暴走していったのです。

 

それと同時に、飲んでいる薬の影響で、自分では制御できないほどの眠気に襲われます。

もともとのクマコは、授業中に眠くなったことはなく、先生の言葉を一言一句もらすまいと必死にノートをとるような生徒でした。

進学校ということもあり、高校受験がずっと続いているような勉強量を求められる。

そんな高校で、テストで何度も学年1位をとった…

それはクマコの誇りであり、自慢であり、希望であり、いつしか存在意義のようになっていました。

そんなクマコが、授業も眠くて聞いていられない。

予習も復習も出来ない。

それは、ものすごいストレスで。

そして、そのストレスをまた、食べることで解消していく。

それが原因で急激に体重が増える…

『あんなに苦労して痩せたのに』、『勉強しなくちゃ』そう何度も何度も思いましたが、自分の意志の力だけではどうしようもありませんでした。

 

そんな日々が続き、自分を奮い立たせることが出来なくなっていった私は、母が探してくれた、週に1回の通学で大丈夫な通信制の高校への転校を決意します。

これ以上、ふがいない自分を、醜くなっていく自分を友達に見せたくはなかったのです。

 

高校3年生の1学期の最終日。

 

これが私にとって、「普通の私」でいられた最後の日となりました。

 

 

 

 

 

つづきはコチラ↓

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